
英語というのはもちろん学問だとは思うんですが、学問という入り口から入ってしまうと、やっぱり英語に対してアレルギー反応を起こしてしまうんですね。僕が何で英語に興味を持ったかというと、ちょうど中学生の頃に、香港アクションスターのブルース・リーの映画が大ヒットしたんです。僕もその映画を見てブルース・リーにすごく憧れました。それで、小遣いで映画のサントラ版を買ったんです。当時のブルース・リーのファンというと、みんなアチョーって真似をするんですけど、僕はブルース・リーに心酔していましたから、彼の台詞も真似してみたいって思ったんです。だから、一所懸命にサントラ版を聞いて、その台詞をコピーすることから入りました。これが英語に興味を持ちはじめたきっかけですね。しかも、こうやって耳で聞いて口真似を続けているうちに、知らず知らずとうまくなっているんです。ある時、英語の授業であてられて教科書を読んだら、先生からすごく褒められました。それで、ますます英語に興味を持つようになりましたね。


西日本学生大会で弟3位入賞

教育実習にて
関西外大に入ってからも、英語の勉強は一所懸命した方だと思いますね。色々と思い出に残る授業はありましたが、当時の僕の英語力向上に本当に力になってくれた授業があります。その授業の中で、NNLのニュースを聞き取って、そこから起こした原稿をもとにアナウンサーと同じスピードでぴったりと読むという本当に実践的なトレーニングがあったんです。この時、アナウンサーと同じスピードでぴったりと読むことができたのは、クラスで僕一人だけだったのを覚えています。
さらに、クラブ活動にも力を入れました。実戦空手同好会というのを作りまして、そこで主将をつとめました。学生大会で入賞するほどの実力だったんですが、残念ながら今はなくなってしまったみたいですね。ちょっと寂しい思いがします。
それから、在学時代には中学校・高校の教員免許を取得しました。当時、一度は教師の道を目指して教育実習にも行ったんですよ。2週間という短い期間でしたが、今も伝説に残るほどすごい授業をしました。本当は2年生の担当だったはずなんですが、生徒たちの強い要望で他の実習生の倍くらい授業をすることになりました。だから、実習が終わって学校の門を出るときには、まるでドラマのワンシーンのように、校舎の窓から顔を出した生徒たちに熱い言葉をかけられました。でも、教師の道には進みませんでした。実は、その時の実習担当の先生から、こう言われました。
「角田先生みたいな先生が現場に来てくれるのは本当に頼もしい限りです。でも、教育の世界というのは、自由に羽ばたいたり遊戯を楽しんだりすることができる世界ではないかも知れない。そう考えると、この狭い世界に収まるよりも、もっと活躍できる舞台があるんじゃないか、そう思えてならないんです。」
K-1の「ケ」の字もない時代に、この先生の一言が、僕の人生を変えたんです。

卒業間近のある日、学生部長の先生から呼び出されて、ある企業が僕を採用したいと指名してきているので返事をしていいか、と言われました。
でも、その時の僕にはある大きな夢がありました。当時、僕が尊敬していた大山倍達という空手の先生は、素手で牛を倒すんです。さらに、その弟子のウィリー・ウィリアムスというアメリカの選手は、熊と戦って熊を倒したという記録映画が残っているんです。その映像を見て、子どもの頃から"熊を倒すような空手家になりたい"と思っていたんです。企業勤めをしても熊を倒すような機会はないですよね。だから、直接そのことを伝えようと連絡を入れました。返事がなかったので問い返してみたら、その時すでに電話は切られていました。(笑)
大学祭にて

その後、卒業して6年間くらいは下積み時代を経験しました。本当に今でも涙が出そうなくらい、もう、どん底の生活でしたね。工事現場で働いたり、お店の用心棒をしたり、ラーメン屋さんで勤めたり、とにかく生きるために何でもやりました。その時の話なんですが、現場の親方がくしゃくしゃになった僕の日当の一万円札をポケットから取り出して、道端に無造作に投げるんです。足元に落ちた一万円札、男のプライドとしては拾いたくない。でも、生活するためには絶対に必要なお金なんです。いつかお前らのこと見返してやるからなって思いながら、悔しさに耐えながら、しゃがんで足元の一万円を拾いました。
でも、辛いことってずっと続くわけじゃないんですね。気がついたら、僕の人生、別に今のポジションを目指していたわけでもないのですが、このような状況になっていました。今では歌を歌ったり役者もやらしていただいていますが、先に話したとおり、僕は熊を倒すような空手家になりたかったんです。周りからすると、これってちょっと理解に苦しむような狂気に思われるかも知れません。でも、僕はそれを信仰心だと思っています。空手と、そこに向かっていく自分の信じる道があって、その道を極めようと今まで精進してきました。その結果、登ってきた自分の道を振り返ってみたら、ずいぶん高いとこまで登ってきたんだな、と。それだけのことなんです。ふと、自分の人生を振り返ってみると、やっぱり関西外大時代に学んだことが自分自身の大きな力となって、度量の中に組み込まれているんだろうな、と感じますね。
世の中、これから生きていく上で、脚本が楽しくなる人生もあれば、残念な人生になることもあると思います。でも、これは人それぞれです。人間の人生なんて、それこそふり幅は決まっています。調子のいい時もあれば、必ずそうでない時のあるんです。楽しい時って皆さん笑いますよね。ハハハって。だから、8×8で64%は良いことがあるんです。逆に悲しい時はどうですか。シクシク泣くでしょう。だから、4×9で残りの36%は辛いことが必ずあるんです。それくらいでいいじゃないですか。100%楽しい人生なんてあり得ないですから。命の幕を閉じるときに自分の人生を振り返ってみて、何も思い残すことはないって笑顔で言えるような、この6対4の比率を何かふり幅を小さくしていける生き方をしたいですね。来年で僕も50歳なんですが、 "武士道といふは死ぬことと見つけたり"と、そのようなことを考えるようになりました。このような時期に、卒業した関西外大に戻ってこれたことを非常に嬉しく思っています。
僕は、たまたまこうして世の中の皆さんに顔を知っていただくような職業をしていますから、関西外大OBの皆さんが例えば社会貢献など活動される時に、もし僕の立場が大きな強みになる、とお感じになったときは、ぜひ協力させていただきたいと思います。大学を卒業して、大学で学んだことを武器に社会で活躍して、それぞれの道で地位を持った人たちが、育ててもらった社会に対して恩返しができる。そんな同窓会活動に期待しています。OBの皆さん、これからも関西外大の看板を背負って、一緒に頑張っていきましょう。
角田 信朗 (かくだ のぶあき)氏 プロフィール
1985年、正道会館(空手)神戸支部長に就任。91年、正道会館総本部師範に就任。93年、K-1GPスタート。
2003年、ラスベガスで引退するも、更なる挑戦を掲げ、2005年現役復帰。NHK大河ドラマ「北条時宗」「天地人」「龍馬伝」、朝の連続テレビドラマ小説「まんてん」等、俳優活動の他、「ケロットマーチ」(ケロロ軍曹テーマ曲)、「傾奇者恋歌」(花の慶次テーマ曲)をはじめ、槇原敬之、谷村新司らとコラボする等、音楽活動も。英語教員免許を取得、日商岩井からの内定を受けるも、格闘技への愛情・情熱から、その道一筋バカになり。現在に至る。現K-1競技統括プロデューサー。
オフィシャルブログ「傾奇者日記」 : http://ameblo.jp/kakuda-nobuaki/














