
関西外大を卒業してから、商社系旅行代理店で業務渡航畑一筋で35年間頑張ってきました。業務渡航取引先から派生した団体旅行の添乗業務に関しては20歳の後半から50代半ば近くまで、ピーク時には月1回ぐらいのペースで渡航していましたので、トータルで100回以上は超えてますかね。正直贅沢だって言われるかも知れませんけど、これだけ行ったら、海外の添乗業務はもういいかなって今は思っています。ちょうど2001年のヨーロッパを最後に54歳までは添乗業務をしていたんですけど、体力の限界を悟ったので、この年に引退しようと思ったんです。そうですね、体力というより添乗体力とでも言うんでしょうか。昔はどんな嫌なことがあっても、嫌なことを言われても、常に笑顔でお応えしていたんですけど、最後にしようと思った旅行で、それが出来なくなっていることに気付いたんです。もちろん2週間をかけた長期の渡航だったので疲れていたのもあったんですが、「あ、これじゃもう駄目だな」って思いましたね。サービス業の原点だと思うんですけど、どんな場合でも、サービスに差をつけてはいけませんよね。
1985年11月
フランス・ノルマンディー地方のドービルにて

よく、海外旅行が好きなんです、という理由で添乗員を志望してくる人がいます。でも、そんな人にいつも言うんですが、海外が好きなだけだったら、この業界に入らずに趣味で行くのが一番いいですよって。知識は当然必要なんですけど、知識だけで出来る業種じゃないんですね。色々な人の人心掌握術っていうんでしょうか、そういうのが得意じゃないと難しいですね。お客さまのために良かれと思ってしたことが悪い結果になったりということが頻繁にあります。でも、そういう経験をしても、勉強になったなって素直に思えたり次に活かそうとポジティブに考えられないと、やっぱりこの業界はしんどいですね。添乗すると、必ずと言っていいくらい自分と合わない人が数人はいるものです。でも、まずしないといけないのは、この合わないと思った人のそばへ常に行って、その人を攻略することなんです。ここから逃げてしまうと、旅行の最後まで尾を引いてしまいますからね。

ある時、カナダのジャスパーからバンクーバーまでの横断鉄道に乗る旅に行ったんですが、鉄道が駅に入る直前に脱線してしまったんです。復旧を待つ訳にもいかず、仕方が無いので急遽バスでロッキー山脈を越える事になりました。結局、到着時刻が大幅に早くなってしまったので、早朝の為ホテルの部屋が取れなかったんです。携帯電話なんか無い時代でしたから、バスのトイレ休憩の合間に宿泊予定のホテルへ何度も電話を入れましたが、深夜の為要領を得ずそのまま到着、不安が的中してほとんどの部屋が未だ清掃中でした。50人近くのツアーだったんですが、豪華夜行列車の旅が事故の為ぎゅうぎゅう詰めのバスに変わったので、皆疲れが極限状態でした。結局5部屋だけ何とか確保できました。誰に入ってもらうか、まさかくじ引きなんてことも出来ないので、私の独断と偏見で年配者を優先してホテルに入ってもらうことにしました。でも、その中の2組からこんなクレームが出たんです。せっかくバンクーバーまで来たのにこのまま部屋で寝かせるのか、もう二度と来れないかもしれないのに、って。また逆に、新婚旅行で来ていた若い夫婦からは、主人が疲れてるのに何で部屋に入れてくれないのって言われる始末です。結局は老夫婦に観光に出てもらい、若い夫婦を部屋に入れることで解決したんですけど、この時は正直理解できなかったですね。人の考え方とか価値観は千差万別なんだって。先を読んで、次にどうなるかを想定しておかないとなかなか上手くいかないということが分かりました。 でも、ここが読めるようになってくると、本当に楽しい仕事だと思います。そう簡単にはいかないですけど、それもまた、この仕事の醍醐味かも知れませんね。













