川鰭 祐子

  • ジャズシンガー
  • 川鰭 祐子
  • 短期大学部 英米語学科 卒業
川鰭 祐子

必ずまた来たい!そう強く思った初めてのNY

 クラブ活動と留学が、学生時代の思い出として特に印象に残っています。 英語研究会のESSに所属していたのですが、入会後しばらくして先輩方と走った「ABCマラソン」。「A- ( A- ) 、B-( B- )・・・」とお互いに声を掛け合いながら学校内を走ったとき、一体ここはどんなクラブなんだろうと不安に感じたこともありました。でも、今ではそれも楽しい思い出の一つになっています。ESSをはじめとする学生生活の色々な経験、その時々に出会った人たちとの関係は、今の自分にとって大きな存在であることは間違いありません。

 留学は、ケンタッキー州立ルイビル大学に留学しました。そして、クリスマス休暇中に初めてNYを訪れました。全てがキラキラと輝き、人と熱気と音楽で溢れていたNYに立った時、必ずここにまた来たい!そう強く思ったのを覚えています。

母の長年願い続けた夢が叶った瞬間

 仕事をしながらプロの歌手を志す母は、いつも、どこでも、歌を口ずさんでいました。だから、幼い頃から私の周りは母の歌で溢れていました。楽しそうに歌う母を見て育った影響からか、私自身も自然と「歌うこと」に親しみを覚えるようになっていたのです。中学・高校時代はコーラス部に所属。兄(関西外大卒)の影響もあり、その頃から「英語が好き&アメリカが好き」になって、よく海外のラジオや音楽を聴くようになりました。大学に進み、留学中にかかってきた母からの突然の電話に驚きました。「オーデイション合格したよ!シャンソン歌手としてステージに立てそうだよ。ようやく始まるわ。夢へまた一歩近づいたわ!」とても印象に残る出来事だったのを覚えています。

 その後、私自身は音楽の世界へ、ではなく、名古屋のアパレル商社貿易部に就職しました。でも、ある日の仕事帰りにたまたま友人が見つけた「ジャズヴォーカルレッスン教室」の門を叩いたのがきっかけで、大好きな「英語・アメリカ・音楽・歌うこと」にもう一度触れたいという思いに再び火が付き、気がついたらジャズに夢中になっていました。そして、「皆様の前で歌ってみたい」という軽い気持ちから、教室で共に学ぶメイトと二人で初ライブを計画したのをきっかけに、私の世界が大きく変わり始めます。

仕事帰りにたまたま友人が見つけた「ジャズヴォーカルレッスン教室」

 私の祖母はクラシック歌手を目指していたのですが、30代半ばという若さで病死しました。だから、私の母の夢は、そんな祖母の代わりに果たせなかった夢を叶えることでした。「私のお母ちゃん(祖母)はね。とってもハイカラでね。『歌い手の夢はアメリカのカーネギーホールで歌うことなんだよ。いつかそんな日が来たらいいねえ。』と口癖のように言っていたの。私がお母ちゃんの代わりに叶えられたら、出来なかった親孝行が出来るかな」と、幼い頃から私たちに何度も何度も言っていました。「また言っとるわ」と聞き流していた家族。でも、遅咲きデビューを果たした母は、祖母の願いを心にステージを重ねていきました。そんな母の姿に、私も母の夢が一歩近づくきっかけになればと思い、彼女の熱意をカーネギーホールへ直接Eメールに託したりもしました。

 そして2000年、母の長年願い続けた夢、カーネギー・ワイルリサイタルホールでのシャンソンリサイタルが実現。その時、母から「祐子も一緒に歌おう!」と誘われ、ジャズに触れ始めたばかりの私が、母の計らいで2曲ジャズスタンダードを歌う機会に恵まれました。母と一緒に日本の歌も歌いました。祖母と母の想いが重なった瞬間。その日は生涯忘れることのできない素晴らしい一日となりました。

 今思い返すと好奇心だけでかなり無謀な私でしたが、そういう経験をさせてくれた母に心から感謝しています。カーネギーホールの会場、スタッフ、お客様、すべてが超一流の「本物」でした。研ぎすまされた空気、忘れられない興奮。ジャズの本場、アメリカNYで「一流」のシャワーを浴びてみたい!どっぷり浸かってみたい!たくさん吸収したい!という思いが高まり、このコンサートをきっかけに、翌年2001年から毎夏NYへ行くようになりました。もちろん、日本でも精力的にライブ活動を行いました。夢を叶えた母は、新たな夢を見つけ再び走り始めました。

「日本らしさ」「自分らしさ」

 仕事の関係もあり、NYに行けるのは毎年夏限定です。NYはいつの季節も素敵ですが、特に夏は音楽を楽しむにはもってこいです。セントラルパークなど、あちこちで行われる無料コンサートの他、ビッグネームも聴く事が出来ます。各々自由な楽しみ方は、さすがニューヨーカー!過ごしやすい気候も魅力のひとつ。全米の大学や音楽学校で行われているジャズサマーキャンプにも何度か参加しましたが、アメリカ中から参加するミュージシャンとの交流も楽しかったですね。

 NY音楽留学を通じて、大切に思える仲間にも出会えました。そんな彼らも交えて、2007年NYでCD「eight of newyorkers」のレコーディングを果たしました。カウント・ベイシー楽団専属ヴォーカリストも務めたメルバ・ジョイスを心の師としても慕っています。現在、地元である岐阜県でNYのミュージシャンとのライブを定期的に行っています。岐阜とNYのミュージシャンで開催したコンサートも素晴らしい経験となりました。ジャズはアメリカで生まれたものだけど、音楽は国境を超えるもの。いろんな「音楽の化学反応」が日本中、世界中でおきていくことは、まさにこれからのグローバルスタンダードとなることでしょう。「日本らしさ」「自分らしさ」も必ず要求される今、軸をぶらすことなく、柔軟に常に何かを吸収していきたいと思っています。
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いつも心に軸を持って

 歌を歌い続けていることで、楽しいこと、新しいこと、素敵な人、ご縁、たくさんの“コト”や“ヒト”に出会ってきました。悩みもがくことも多いのですが、その度に、自分が成長出来ているから悩みがまた一つ増えたんだ。と、思うようにしています。まだまだ夢への道は続きます。ぶれない気持ちを大切に、いつも心に軸を持っていられたら、と思っています。

掲載:2014年7月

川鰭祐子(かわばたゆうこ)氏 プロフィール

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岐阜県岐阜市出身、在住。
シャンソン歌手である母の歌で育ち、幼少の頃から自然に歌に親しむ。中学、高校時代はコーラス部に所属。大学在学中、アメリカケンタッキー州ルイビル大学に留学、アメリカ音楽や本場のジャズに触れる。2001年より毎年ニューヨークへ音楽留学を始め、カウント・ベイシー楽団専属ヴォーカリストも務めたメルバ・ジョイスと出会う。心の師としても慕っている。大野智子、植田典子、タロウ・オカモトのサポートにより2007年NYでCD『eight of newyorkers』の録音を果たす。2009年、2012年、地元岐阜でテッド・ローゼンタール、The Diva Jazz Trio等ニューヨークミュージシャンと共にコンサートを開催。現在地元中部地方を中心に活動中。
ジャズ、ブルース、ボサノバを始めとするラテン、日本の曲など、幅広いジャンルに挑戦し続けている。