川口 篤史

  • PIGEON INDIA PRIVATE LIMITED
  • 代表取締役社長
  • 川口 篤史
  • 1994年 外国語学部 英米語学科 卒業
川口 篤史

英語力の壁に阻まれた学生生活の第一歩

 入学当初は、授業にさえ出席していれば英語が話せるようになると勝手に解釈していたのですが、実際のところ、英語が話せることが前提の授業進行に、最初は本当に戸惑いました。

 入学して初めてのクラスで、これは本当に個人的な要件だったのですが、授業が始まる前に先生の教壇に向かいました。「個人情報の登録変更が必要なので、私の出席簿の変更をしてください」と外国人の先生にお願いしたかったのですが、私の英語は全く通じません。このままでは埒が明かないと感じ、今から思えば大変失礼なことをしてしまったのですが、先生の出席簿に指をさして、ここをこういう風に変えてください、というゼスチャーを取りました。結果、先生のお怒りを買ってしまい、その場で大変怒られたことが今でも強烈に記憶に残っています。これが、英語に対する最初のコンプレックスとなりました。自分の英語力ではコミュニケーションを取ることもできない。意気揚々と踏み出した学生生活の第一歩で、まさかいきなり自分自身の至らなさを実感させられることになろうとは思ってもみませんでした。

授業以外で唯一英語に触れた意外な場所

 そんなことがあってから、一気に勉学よりも学生生活をエンジョイしたいという思いが強くなり、ナンパなサークルにでも入って学生生活を謳歌しようと考えていた矢先、同じクラスの友人が何とボクシング部に入部しました。何だか良く分からないまま一度見学してみようとボクシング部の練習を見にいったのですが、これがストイックな環境でとても恰好良く見えました。そしてそのまま入部。ナンパな学生生活とは全く違う生活を歩むことになりました。

 外大には留学生も多く、ボクシング部にも毎年数名の留学生が入部してきました。自分自身の英語力にコンプレックスを感じていたこともあり、初めは留学生とコミュニケーション取ることすらできませんでしたが、彼らと共に練習したり合宿したりするうちに、言葉がなくても自然と仲良くなることができることに気付きました。合宿時には、向こうもコミュニケーションを取りたかったようで、異性に対する少し下世話な話で盛り上がり、こういう話って万国共通なんだ、と妙に安心したことを覚えています。一番英語と縁遠いと思っていたクラブ活動の場が、意外にも授業以外で唯一、英語に触れる機会となりました。

希望の会社に出会えるきっかけとなった方向転換

 卒業後は、現在所属しているピジョン株式会社に入社しました。就職活動を始めたのは、確か3回生の終盤からだったと記憶していますが、最初はスポーツメーカーに入りたくて、大手スポーツメーカーの面接ばかり受けていました。しかし、面接を重ねても良い結果には恵まれず、だんだんと活動途中で不安になり、スポーツメーカーに拘ることなく業界でNO1の会社に照準を定めて就職活動を行うように方向転換を決めました。

 そんな折、たまたま同じクラブの同級生が今の会社の説明会に参加すると聞いたので、自分も気軽な気持ちで受けてみることにしました。すると、幸運にも二人とも内定をもらうことができたのです。

人生の分岐点となったマーケティング部への異動

 初赴任地は広島県。入社1年目は営業職で、広島店が管轄する中国・四国地区の担当をすることになりました。初めての経験となる関西圏以外での生活。山陰地区の独特の方言に初めは戸惑いましたが、お得意先である卸店古参営業の方々にいろいろと鍛えてもらい、4年後には東京本社のマーケティング部へ異動することとなりました。

 当時、営業出身者がマーケティング部に若くして異動することは異例でしたし、自分自身も東京での生活に不安と好奇心もありましたが、この異動が自身の人生に大きく影響する分岐点となりました。マーケティング部での仕事は営業とは違うまったくの別世界で、仕事のやり方を一から勉強し、新商品のコンセプト開発や発売までのマーケティングプランの作成、レビュー、海外市場での競合動向調査など、仕事に関する視野が大きく広がりました。

 その後、国内営業の代理店本社や量販担当などを経て、自身の希望で海外事業部への異動を許され、海外営業を本社で2年、中国上海への駐在5年、そして、現在インドで駐在6年となります。
キャプション
キャプション
キャプション
キャプション

自身の下支えになったストイックなクラブ活動

 前述した強烈な劣等感とボクシング部でのストイックな環境は、自身の下支えになっていると思います。社会人になってからは、英語はもう諦めよう、どうせ高性能な翻訳機が開発されれば英語が話せることは特別なことではなくなるんだから、と勝手に自分に言い聞かせていたものの、国内営業に配属された当時は、やはり密かに悶々としていました。

 だから、その後、マーケティング部に配属され、海外の競合環境に触れたことをきっかけに、そもそも自身が成し遂げたかったことって何なのかを考えるようになり、海外で仕事がしたかったんじゃないかということに思い当りました。それからは英語を猛勉強することで海外事業への異動が叶い、外国語を使ったビジネスができる環境になりました。

 言葉としては不適切かもしれませんが、殴り合いという非日常な状況を体験し、恐怖を感じて克服する、というボクシング部時代の経験があったからこそ、苦手だった英語を克服できるほど肝っ玉が太くなったのではないかと思います。

上司に恵まれて育った社会人生活

 思い出すといろいろありましたが、私自身、本当に上司に恵まれていたと思っています。それぞれ個性のある方々ばかりで本当に勉強になりましたし、今の自分があるのも歴代の上司に大きく影響されています。私の営業スタイルを確立していただいた最初の上司、マーケティング部でもっとも影響をうけた今は亡き部長、海外事業で世界を相手にするビジネスを教えていただいた上司の方々、それぞれ自分が岐路に立つ時には、いつもチャンスを与えていただいたと感謝しています。
キャプション
近所の日本居酒屋で他駐在者とパーティ

学生時代の限られた時間を大切に

 日本のメーカーは、まだまだ世界で活躍できると思います。日本にはいい商品がまだまだたくさんありますので、メーカーに就職して海外に出る機会は今後も増えるでしょう。しかし、これから社会にでる学生の皆さんは、私の頃よりも、さらに競争環境が高くなっていることもまた事実です。実際、就職活動で外国人採用が増えていることは、学生の皆さんにとって大変なことだと思います。ここインドでも、インターン生が増えています。駐在して現地にいると、関西外大卒業生にはなかなかお会いするチャンスがないのですが、いろんな学生が就活前に海外での日系企業でインターンとして経験を積んで就職活動に活かしているようです。インドに駐在してから久しぶりに当時の同級生に再会しました。お互いに学生時代のことを考えると海外関連企業で働いているなんて想像もしていませんでしたが、もっと学生時代に勉強しておけばよかったという後悔が残っているというのが共通の意見です。私は、未だに英語には四苦八苦しておりますが、社会人になって少しでも英語が理解できるようにと費やしたお金と時間は、学生の時に使っておけばよかったと思っています。だから、学生の皆さんには、言葉の習得は学生時代に終わらせ、社会人では言葉以外のスキルアップに費やすことを老婆心ながらお勧めします。

掲載:2016年9月
キャプション
発展するインド